『修学旅行に行かなかった日』 柳田邦男(ノンフィクション作家)
ひょんなことから、自分自身を見つめ直すために、内観と呼ばれる修行を一週間にわたって受けた。私が参加したのは、栃木県喜連川町にある瞑想の森内観研修所という道場だった。十数人の参加者一人一人が畳の部屋の片隅の半畳分ずつを与えられ、そこを衝立で囲って、中にこもる。座禅と大きく違うのは、姿勢が自由であることと、無我の境地に入るのではなく自分の過去を思い出す作業に全精力を注ぐこと、などの点であるように思えた。
−(中略)−
はじめのうちは、母が台所の板の間でそば粉をこねて麺棒で薄くのばし、それを巻いて包丁で切っている風景とか、端午の節句にかしわ餅をつくっている風景ぐらいしか浮かんでこなかったのだが、もっと具体的な出来事がスポットライトをあてられたようなイメージで記憶の闇のなかから少しずつ姿を現わし始めたのだ。 その一つに、小学校六年のときの出来事があった。修学旅行をめぐる出来事である。戦後間もない頃で、わが家は教育者だった父が病気で亡くなったため、長兄が小さな古書店を開いたり、姉が勤めに出たり、母が手内職をしたりして、糊口を凌いでいた。母の手内職は、八百屋さんなどで使う古紙利用の袋貼りの仕事だった。母は、家の八畳間に本を台にして張り板を渡して作業台にし、その上でせっせと袋貼りをしていた。私もその傍らでよく手伝った。古新聞や古雑誌をバラして一定の大きさにそろえ、ハサミでのりしろをつくって、一度に十枚ぐらいに刷毛でのりをつけ、どんどん貼っていく。収入はなんぼにもならなくても、おかずを買う足しぐらいにはなっていたようだった。そんな折、小学校最後の年の修学旅行の日が近づいた。行く先は江ノ島・鎌倉で、二泊三日の日程だった。家の経済状態を思うと、私はとても修学旅行の費用を母に出してもらう気にはなれなかった。私は担任の先生に、修学旅行への不参加を申し出た。「理由は旅行が嫌いだからです」と、嘘をついた。家にお金がないからとは恥ずかしくて言えなかったし、そんなことを言ったら母が悲しんでどこかから借金してくるかもしれないと思ったので、先生にも母にも嘘を押し通そうと心に決めていた。先生は、「修学旅行は授業のひとつなんだから、嫌いだからというのは理由にならないよ」と言ったが、私は「どうしても行きたくないんです」と頑張った。後で知ったのだが、先生は私の家までやってきて、母に「何とか息子さんを旅行に行かせてほしい」と頼んだらしい。母はなぜか先生が来たことは言わずに、ただやさしく「小学校時代の大事な想い出になるんだから、行けばいいのに」とだけ言っていた。私を責めるような言い方はしなかった。修学旅行の日まで、私は悶々とした毎日を送った。先生からもう一度「修学旅行に参加しないのは、六年全体で君だけなんだ。どうしても行かないのか」と言われたが、私は「すみません。やはり行きたくないんです」と同じ返事を繰り返した。心のひねくれた生徒だと先生に思われたのではないかと怖れたが、決心は変えなかった。級友たちが江ノ島・鎌倉に行っていた三日間、私は家で袋貼りの手伝いに専念した。《これで母に負担をかけないですんだんだ》と、何度も自分に言い聞かせた。母は黙っていた。そんな日々の情景が、瞑想する私の脳裏に、往年の白黒映画のシーンのように甦ってきたのである。そのうちに私はハッとなった。あのとき私は母に負担をかけさせないようにしようと思って修学旅行に行かなかったのだけれど、母の気持ちになってみれば、学年でただ一人、自分の息子だけが我を張って修学旅行をサボッているのは、借金をすることよりも、どんなにか悲しくつらいことだったに違いない。その気づきが胸にこみ上げてきたとき、私はあふれる涙をこらえることができなくなった。 |
「妻についた三つの大ウソ」新潮社より |
『父母の愛に育まれて』 神渡 良平(作家)
私は以前から内観道場に行ってみたいと思っていたので、平成八年八月のお盆休みに一週間時間をとり、栃木県塩谷郡喜連川町の瞑想の森内観研修所に行って、柳田鶴声先生の許で内観をした。内観は宝の山を掘り当てたような喜びを私にプレゼントしてくれた。私が最初驚いたのは、内観の先生方が訪ねてこられると、まず畳に額がつくほどに深々とお辞儀をされ、屏風の陰の人に向かって静かに合掌されるのだ。それを垣間見たとき、「私のような汚れた人間を拝まれるなんて、申し訳ない…」と思った。先生方のそんな姿勢に導かれて、私の内観の旅路が始まった。私の場合、母の恩愛について、こういうことを思い出した。私の実家は鹿児島県の田舎町で日用食料品店をやっている。食料品店なので夕方になるとてんてこ舞い、母は夕食を作っている暇もない。父が疲れて帰って来ても、まだ食事の準備ができていないこともある。子どもたちはお腹をすかせてピーピー言っている。仕方なく父が夕食を作って食べさせてくれるということもあった。小学校二年のときのことだ。ある夜、父が大変に酒に酔って帰って来て母と口論になった。私たち子どもの頭上をきつい言葉が飛び交った。私たちは身を固くして、それが過ぎ去っていくのをひたすら待った。ところが逆に父の暴力はますます高じ、とうとう母を殴り出したのだ。母は泣きながら、「そんなにおっしゃるのでしたら、私はもう付いていけません」と、タンスから自分の着物を出して、風呂敷に包み出したのだ。私は、「こりゃいかん。このまま行ったら母ちゃんは家を出て行く!」と思い、妹と二人、母の袖にしがみついた。「母ちゃん、出て行かんでくれ!」二人の子どもにすがりつかれて、母はどうしようもない。私たちを抱いてオイオイ泣き、涙声で言った。「かわいいお前たちを残して、どうして出ていけようか。母ちゃん、がんばるからね。ここでがんばるからね」そのときの記憶が蘇ってくると、頬にかかった母の涙の熱い感触さえ蘇ってくるのだ。私はワンワン泣いた。あんなこともあったけど、母は私たちを捨てなかった。これが私の母の愛への確信のベースとなっていたのだ。
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「下坐に生きる」致知出版社より |
『「内観」で潜在脳の記憶に触れる』 志賀 一雅(脳力開発研究所所長)
果たして狭い空間に閉じこもって長時間も耐えられるものなのか不安だったが、半日も経たないうちに、想像と現実とはかくも違うか、と驚くほど居心地のいいことがわかった。三度の食事は運ばれてくるので屏風の中でいただく。内観者が共通して抱く感想の筆頭に、食事がとてもおいしかったこと、心のこもったお料理が嬉しかった、とある。運動しないのにとてもおなかがすく。だから、かなりの量の食事を残さずきれいにたいらげてしまう。一週間この調子だが、おもしろいことに体重は増えていない。ダイエットで食事を控えている人に見せたいくらいである。
−(中略)−
私が最初に内観したのは、暮れも押し迫った一二月二五日からだから、とても寒かった。部屋の真ん中に石油ストーブが一つ置かれていたが、それで屏風の中まで暖まるものではない。そのためか、綿入りの丹前が用意されていた。それを羽織って寒さをしのいだ。多くの内観者がそうであるように、私も一回目の母に対する内観では、思い出そうとすればすぐに思いつくものばかりだった。大脳の皮質の部分の平面的な情報を引き出すことはできても、それにつながっているはずの、脳の奥深いところからの感情の伴った情報が出てこない。そもそもこのように自己分析しながらでは、とても内観にならないが、参加の動機がいささか不純で、内観を分析してみたい、ということだった。柳田鶴声師に指摘され、思い直して、母に対する二度目の内観からいろいろな現象が出てきた。生まれてから三歳まで、母にしてもらったことを調べる。時間は二時間たっぷりあるのだから、あらゆる情報を思い出しながら、そのときの状況を調べた。当時は東京の文京区小石川に住んでいたが、なぜか生まれたのは中野区の病院だったと間く。難産で母はかなり苦労したようだ。長時間かけてやっと出てきたとき、頭は飛行船のように横長に歪んでしまい、奇形児が生まれたと思ったらしい。母から聞いた話、叔父や叔母から間いた話を思い出しながら、そのときのようすを想像する。心と体をリラックスさせ、アルファ波が優勢な脳の状態にして想像する……。想像しているうちに、なにか耳元で声が聞こえるような感じがする。母が歌ってくれているのだ。お尻が温かく感じてくる。母のひざに腰掛けて、両手で抱きしめられて、まるで屏風の中に母も一緒にいるかのような錯覚さえしてしまう、そんな感覚を伴って……ものすごく愛されて育てられた……という実感が込み上げてきた。これだ、とすぐ分析してしまう悪い癖だが、脳の奥深くに刻まれた記憶が、体の感覚として蘇ってくる。潜在脳に記憶されている情報の一部が耳を剌激し、肌を刺激し、過去に体験したと同じような体の状態を再現しているのであろういまだかつて、昔のことを思い出すのにこれほどの時間をかけたことがあっただろうか。五分とか一五分はあったとしても、二時間かけて、しかも他のことを何もしないで調べたことは、ない。だからこそ新しい体験であり、新たな気づきが得られるのである。私についていえば、あまり迷惑をかけない親孝行ものだと自負していたが、なんと自惚れていたのだろう、こんなにも迷惑をかけてきたのだと気づかされた。ただ不思議に思うことは、だからといって自己嫌悪に陥るのではなく、むしろ気づかされたことによって、目から鱗が落ちていくようなすがすがしさと、喜びが湧き出てくる。まだ間に合う、幸い母は丈夫なのでこれからお返しができる、という希望が込み上げてくるのだ。こうなると一週間の集中内観の意義はとてつもなく大きいと思う。だから、病気とか悩みごととか、人生において、なにか壁にぶつかったとき内観するのもいいが、学生から社会人になるときとか、結婚するとき、子どもが産まれるとき、子どもが成人したとき……など、人生の節目節目で内観するとすばらしいと思う。
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「潜在脳」ダイヤモンド社より |
『孤独の技法』 齋藤 孝(明治大学文学部教授)
自分の心の内を見つめるためのより本格的な方法として、内観法がある。部屋に立てかけた屏風の中で、一日十数時間、三日から一週間もの間ひたすら自分自身を見つめ続ける作業をするのだ。食事も運んできてもらい、屏風の中でひとりで取る。内観中は、新聞やテレビなど一切の情報との接触を禁じられる。具体的には屏風の陰で何を考えるかというと、母や父、きょうだい、配偶者、会社の上司や同僚など、いままで接してきた身近な人に対して、自分は何をしてもらったか、何をしてあげたか、また、どんな迷惑をかけたかなどを全部思い返し、親切や好意、妬みなど、これまでの人生の収支決算をするのである。不思議なことに、過去を遡っていくと、驚くほど素直にほかの人への感謝の念が湧いてくる。特に親に対しては、してもらったことの方が多過ぎて、間違いなく感謝の気持ちがあふれてくるはずだ。それまで「てめえ、ばかやろう、ばばあ」などと親を罵倒していた人でさえ、がらりと反省してしまう。親からしてもらったことを思い返すことなどめったにないだけに、よけい、自分がどれほど愛されている存在だったかに一瞬で思い至るのだ。そもそもこれまで無事に生きてこられた時点で、充分人の世話になっているわけだ。もし人を恨むような気持ちになるくらい悩んでいたとしても、振り返ることで根本の問題は何だったのかがわかり、すっきりすることもある。″私は誰の世話にもなっていないという人ほど、人に迷惑をかけやすい″という言葉は至言だ。私自身、喜連川温泉にある柳田鶴声氏が主宰していた専門の施設で内観を体験したことがある。内観とは、浄土真宗の修行のひとつ〈身調べ〉と呼ばれていた自己省察法を土台に、吉本伊信という人が考案した自己啓発法である。仏教関係の人が始めた手法だが、あまり宗数的な意味合いはなく、すっきりと孤独を技法化している。自分の心の傷と折り合いをつけていく心理療法もあるが、内観法ではむしろその逆で、してもらってうれしかったことなど、よかったことばかりを思い出していく。してもらったことは忘れてしまったり、してもらったことを気づかなかったり、そのくせしてあげたことはひとつ残らず覚えているというのが人間だ。その盲点を思い切り突いて、ギブ・アンド・テイクのテイクの部分だけを徹底的に思い出していくと、すべてに感謝できる自分ができあがる。施設で体験する内観は、心の垢を洗濯しに行く感覚に近い。 |
「孤独のチカラ」PARCO出版より |
『一瞬に生きる』 小久保 裕紀(プロ野球選手)
実は僕、プロに入って4年目くらいまで、チャンスに打席が回りそうになると緊張して震えていたんです。ベンチで「わっ、この回いいところで回ってきそうやな」と思うと、足が震え始めるんです。2年目の終わりごろから4番を打たせてもらってたんですが、どうにかしないとプロの世界では厳しいなと思いました。それで精神的な部分を鍛えなければとメンタルトレーニングを始めました。脳の神経回路というのは訓練すれば増えるらしいんです。緊張すること自体は責められることではない。全く緊張しないやつは大きな仕事はできない。だから緊張した後、リラックスする回路を作ればいいんだと。全身にぐうーっと力を入れてその後「はあ、リラックス」というトレーニングを毎朝毎晩続けました。それで回路が出来たのかな。3年ほど前から、チャンスが来ても動じない自分に変わりました。野球界の先輩の話を聞くだけだったら、分からなかったと思うんです。様々な分野の本を読んだり話を聞いたりして勉強することで、自分が助けられたんです。打てなくて悩んでいたときに読みあさった本のおかげで強くなれた。本の力で自分が確立されました。野球は7割失敗しても3割成功したら一流と言われる世界なので、どうしてもマイナスのイメージが残りがちです。それをいかに払拭するかが大事なのですが、本には答えとなるヒントが色々な角度から書かれています。豊富な読書量が今の僕に生きていると思っています。
−(中略)−
本日の「一瞬に生きる」というテーマは僕の座右の銘です。5年前にメンタルトレーニングの一環として、栃木県に「内観」という修行に行きました。1日15時間、1週間にわたって座り続けるんです。その場所でその言葉を知ったのですが、今生きているこの瞬間に全身全霊をかけて取り組んでいれば、悔いは残らないという意味です。バッターは1打席打てないとどうしても次にひきずるんです。でも、誰も見ていなくとも一瞬ごとの練習を積み重ねて打席に入れば、結果はどうあろうと後悔はありません。悔いのない一瞬の積み重ねが人生である。学生生活でも読書でも通ずるところがあると思い使わせていただきました。
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読売新聞2007年12月17日版 青山学院大公開授業「読書教育講座」より |